四柱推命の歴史を考えると、
一人の天才によっていきなり
発明されたものではありません。
その歴史を見てみれば、
古代中国において十干十二支
が定められ、陰陽論、相剋論、五行説等が
論じられるようになり、
それぞれが独自に発展しながら融合します。

やがて唐の時代に子平さん
という方(徐居易、字が子平)が
現代の四柱推命のもととなる
子平学を定めたと言われています。

その数百年後、明、清の時代になって
滴天随、窮通宝鑑といった書物が
まとめられて現在の形になってきました。

もちろん歴史の表舞台には出てこいない
天才偉人達が数多く関わっていることは
間違いないかと思います。

日本では阿部泰山氏がこれらを訳し
まとめた阿部泰山全集を発刊しており、
現在日本での四柱推命はこの阿部泰山流
が主流となっています。

誠山会ではこの阿部泰山全集を
基本にしているため、
十干と調候の関係である
滴天随、窮通宝鑑といった
内容についてもカリキュラムに
組み込み教えていいます。
しかしながら、これらは実践鑑定に
沿わないところがあり、
教える側としては少なからず
葛藤が生じてきます。

陽史明氏著作の「窮通宝鑑」でも、
そういった実践の推命と合っていない
という指摘が度々(毎回?)でてきますが、
例えば、庚丁、甲庚、壬辛といった
特定用神としての理論で、
これら窮通宝鑑の内容と実践とは
相いれない部分のところが多々あります。

ただし、これらが間違った内容が
記述されているといと、そういう訳ではなく、
調候と干関係の基本としては正しいのであり、
何を取り何を捨てるかは、
その理論をしっかりと理解した上での
推命が重要となります。
それらを飛ばしていきなり素晴らしい
活断ができるものではありません。

易経にも順を履むことの大切さが
説かれている通り、急がば回れで
順を追って学ぶことが大切です。