本棚から日に焼けた古い書籍が目に付いたので、
思わず手に取ってみました。
その本は、加藤大岳先生の高弟である
紀藤元之介先生が書かれた本「易占始終」でした。
※私の師匠からお借りしたものです。
その中に、「求占するわけ」の見出しがあったので、
下記にまとめてみました。
「占い」によって何事かを
解決しようとするのは、
精神的あるいは物質的にしろ
功利的な(利益や効果がある)
欲求から来るものである。
その煩悶苦悩から脱して、安泰幸福な
境地に至りたいと願うのが普通である。
そのため「占」を求めてくるからには、
それなりの理由があり、なんらかの「気」
が動いているのである。
そのため占う側(占い師)からすれば、
この「気」を機敏にキャッチできるかどうかが、
的確な「占」をするひとつの大きなカギ
となる。いわゆる占い師の「カン」というやつで、
この錬磨修得の差が占考に大きく
影響してくるのである。
・・・といった内容になっておりました。
つまりは、いわゆる「出来る占い師」になるためには、
占いの知識も大切ですが、鑑定の実践が重要であること。
さらには実践が多ければ良いものでもなく
自身の下した判断に対して、終日乾乾と
推敲することが大事なことですね。
そうなれば「飛竜天にあり」となり
世に羽ばたくことができるというものです。


思わず手に取ってみました。
その本は、加藤大岳先生の高弟である
紀藤元之介先生が書かれた本「易占始終」でした。
※私の師匠からお借りしたものです。
その中に、「求占するわけ」の見出しがあったので、
下記にまとめてみました。
「占い」によって何事かを
解決しようとするのは、
精神的あるいは物質的にしろ
功利的な(利益や効果がある)
欲求から来るものである。
その煩悶苦悩から脱して、安泰幸福な
境地に至りたいと願うのが普通である。
そのため「占」を求めてくるからには、
それなりの理由があり、なんらかの「気」
が動いているのである。
そのため占う側(占い師)からすれば、
この「気」を機敏にキャッチできるかどうかが、
的確な「占」をするひとつの大きなカギ
となる。いわゆる占い師の「カン」というやつで、
この錬磨修得の差が占考に大きく
影響してくるのである。
・・・といった内容になっておりました。
つまりは、いわゆる「出来る占い師」になるためには、
占いの知識も大切ですが、鑑定の実践が重要であること。
さらには実践が多ければ良いものでもなく
自身の下した判断に対して、終日乾乾と
推敲することが大事なことですね。
そうなれば「飛竜天にあり」となり
世に羽ばたくことができるというものです。

